日帰り
「好きな時だけ帰ってくればよい」
実家の稲作を手伝い始めたころ、父親は私にそう言っていた。私は彼の言葉通り自分の都合で体を動かしたい時だけ帰省し手伝った。
潮目が変わったのは三年前だ。父親の足腰が悪くなった。一定の時間体を動かすと痛みがやってくるという。長時間動けなく重いものも持てなくなった。
「どうするのかお前が決めればいい。米は買って食べればいいのだから」
父親は私に言った。実家の田んぼは私の祖父母が戦後購入して作り始め、父親はその後を継いだ2代目だ。先祖代々の土地というわけではない。
父親から決断を迫られた私が出した答えは「できるところまで続ける」であった。自身や自分の大切な人の主食となる米は、自らの手で作りたいという思いがあった。
株を買い続けていながら何を言うと突っ込まれそうだが、ここ20年間の世界経済のあり方、行き過ぎた資本主義やそれに伴う貧富の格差にモヤモヤした気持ちもあった。
「私たちは何のために働き続けて、経済発展を目指すんだろう。どこまで富を集めれば安心できるのだろう」
欲望にはキリがなく、自然は有限である。私の目には、世界は人間に利用し尽くされて引き返せないところまできているように思いえる。そんな世界から少し目を逸らし、自分たちが食べていける米だけでも自分で生産できれば安心できるのではないか、そういう自分勝手な思いである。
足腰の弱った父親と米作りを続けると決めてからは、自分のペースで田んぼを手伝うという風にはいかなくなった。9月に稲を収穫するためには、そこから逆算してさまざまな作業を行わなければならない。
しかも、計画を立ててそれをこなせばよいというわけではない。天候や気温などの自然状態によって作業の日程や内容は微調整されなければならない。米は工業製品ではないのだ。
そんなわけで、常勤で働く私が、シビアな日程で実家に帰り農作業を行うことも増えてきた。つい先月も日帰りで実家に帰り田んぼに肥料を撒くことがあった。
動噴(どうふん)
数軒で共同購入した機械を使い回すため、田植えの日程は決まっていた。その少し前に2回目の肥料を撒かなければならない。
私は中間考査中の1日に休みを取ることができた。四日間の考査日程で私が休みを取ることができるのはこの日だけだ。「雨天決行で作業しよう」私は父親にそう言いその日を待った。
AIのおかげか最近の天気予報は驚くほど当たる。1週間前から雨予想だったその日は、嬉しくはないが見事にその通りになった。私は雨に濡れ、汗まみれになる覚悟を決めて帰省した。
肥料は動噴機によって散布される。私も三年前までそのようなマシンがあるとは知らなかった。動噴機は大雑把に言って小型エンジン付き送風機とその上の肥料用のタンク、本体から伸びた噴霧用長さ1.5メートルほどのノズルから成る。
肥料をタンクに入れると総重量30キロを超える動噴機を父親は背負うことができない。運動神経がよく力持ちだったかつての父親のことを思い、寂しさが込み上げてくる。
小雨が降る中、私たちはマシンと肥料を積んだ軽トラを田んぼへ走らせた。父親がビーチパラソルを軽トラの荷台に立てて、その下で肥料をタンクへ入れる。エンジンをかけた動噴機を背負い、右手でノズルを持ち、左手でスロットルを開く。
噴出された肥料がノズルを経由して20メートルほど先まで飛んでゆく。田んぼの畔をゆっくりと歩きながら、なるべく均等に肥料が行き渡るようにノズルの角度を調整する。背中のタンクが空になれば、軽トラへ戻って補充する。
今晩酒飲めるのか?
小雨の中淡々と作業を進めていく。背中のエンジン音で何も聞こえない、ある意味無音の世界の中にいる。動きは鈍いがバイクと同じような感覚になる。
ふと見上げた先に稲光が見えた。遠く山の向こうに雷雲があるようだ。思わず軽トラにいる父親の方を見た。彼はスマホを眺めていた。
肥料がなくなり補充に行った。
「雷雲はまだまだ遠くにいる」
雨雲レーダーを見ていた父親が言った。
それはわかる。光は見えるが、まだ音は聞こえてこない。肥料は残り1袋と少し。時間にしてあと15分というところか。
雨足が強まってきた。背中のエンジン音にかき消されているが、雷鳴が聞こえたような気がした。周りの田んぼで作業をしている人など誰一人いない。
私もここに住んでいたなら、こんな日に農作業などするはずはない。やむをえない事情で、わざわざ日帰りで神戸からやってきて、ここで雨と汗に体を濡らしているのである。
父親の方を見ると相変わらず雨雲を見ているようだ。動噴機を背負いながら、私の中に不安の影が広がっていく。田んぼの中で一人、長いノズルを振り上げている私。雷が落ちるとすればそのノズルの先なのではないか。
いや、ノズルはプラスチック製で電気を通しそうにない。それに私はゴム製の長靴を履いている。
この大地に比べてあまりにも薄いプラスチックやゴムに意味があるのだろうか。学校現場でも運動をしていた生徒に雷が直撃したことがある。
そもそも、父親のスマホに映る雨雲情報は正しいのか。
プラスとマイナスの思いが頭の中を通り過ぎる。動噴機のノズルを上げる角度が自然と下がってきた。「即死」という言葉が頭に浮かぶ。
「今夜私は神戸に帰ってお酒を飲むことができるのだろうか。昨夜飲んだ一杯が人生最後の酒になるかもしれない」そんな考えなくてもいいことを考えてしまう。
あの遠くに見える稲妻がこのノズルまで伸びれば、私は即死するであろう。こうして意識があり考えを巡らしている存在が、1秒後に無になるとはどういうことなのだろう。
夜、白熱灯のフィラメントが切れて、一瞬で闇がやってくるようなイメージが浮かぶ。しかし、そんなイメージも死後の自分を客観視できる生きた自分があるから想像できるのだ。それすらなくなってしまうことを、私は考えることができない。
不思議
バイクに乗っているとヘルメットのシールドが汚れる。汚れのほとんどは虫の死骸である。時速60キロで走る物体を、虫たちは避けることができない。一瞬で潰れてシールドに付着する。
私は昔、六甲アイランドで車を運転していた時のことを思い出した。車の前方に戯れ合う2羽のスズメが落ちてきた。アッと思った零点数秒後、右前輪下でプチッという音と振動が伝わってきた。
虫たちもスズメも即死である。
しかし、考えて見ると、海であっても陸地であっても空であっても、おおよそ自然界で捕食される者たちの死に方は、ほぼ即死と言ってよいであろう。一瞬のうちに、何が起こったのかわからないうちに命が消え去っているのだ。
一度外に出ると、何があるのかは誰にもわからない。それが自然の掟であり、人間とて例外ではない。ただ、人間は頭を使って工夫することで、その掟から目を逸らすことができる。自然の厳しさを薄めることができる。
だから、私たちは明日や3年後を思い描きながら生きることができる。それは、幻想であると心の底ではわかっていながら、その感覚を麻痺させながら1日を過ごしていくことができる。
動噴機を背負いながら、最後の15分間がやたらと長く感じた。「1秒後に死ぬかもしれない」そんな密度の濃い思いが時間の感覚を伸ばしたのだ。
私はこの日、無事神戸に帰り自宅で晩酌を楽しむことができた。感電死は逃れたが、帰宅途中の道のりで一瞬でも車がセンターラインからはみ出していたら、私は別の方法で即死していたであろう。
当たり前のように未来を描きながら生きる毎日が、即死と背中合わせであることを感じさせてくれた体験であった。
